You&J〜あなたとジャニーズ、私と青春〜

You&J

今はもう耳にすることのなくなった、懐かしさとエモさと、胸がギューっとなる感覚が押し寄せる単語。

私はかつてジャニヲタだった。

それも、恐らくジャニヲタの世界で一番厄介で特殊な、このYou&Jという世代の。

 

今はもうジャニヲタは完全寛解に持ち込めていると自負しているけれど、

たまに何の前触れもなく急な発作が起きたみたいにあの頃の動画を見漁る。

今はYoutubeに何でもあるから、いい時代になったもんだ。

 

私の自己紹介。

2022年7月で、29歳になる。華のアラサー。おジャ魔女どれみの初回を正座待機して、モーニング娘。のカードをこれでもかというくらい集めて、ミニモニ。ハム太郎の夢のコラボに胸を踊らせ、エンジェルブルーを着て、大好き五つ子と共に成長し、夏休みはキッズウォーを見ながらそうめんを啜り、匂いつきペンでプロフィール帳を書いていた世代。

辻派加護派?矢吹派小田切派?という問いかけを避けては通れなかった世代。

 

矢吹隼人派の、元渋谷すばる担。

 

夏休みに何となく見ていたドレミソラという昼ドラに出ていた内博貴を見て、「えーかっこいい〜」と思っていたらNewsでデビューするらしいということで、堂本兄弟を見ていたら「こっちの方が好きかも」という感覚で隣に座っていた錦戸亮にスライドし、そこから関ジャニ8に入って、KAT-TUNもめっちゃ好きになる、みたいな感じでズブズブとジャニヲタの沼に足を踏み入れていった。

世はごくせん2でフィーバーしている時代。何となく好きだった錦戸亮が、ごくせん2でジャニーズ熱そのものが加速していって、2005年2月にジュニア情報局入り。

こういう場合もごく出っていうのかな。グレーな感じだから、私は半分ごく出だと思って永遠の新規と自負している。

どこで渋谷すばるが出てくるねんという話になるが、まあそれは長くなるから割愛するとして、大体大阪レイニーブルースらへんと認識してもらえると差し支えない。

 

本命はエイトだけど内亮から入った身としては、掛け持ち先のNewsも気になる。

でもKAT-TUNも好き。当時はまだYou&Jという呼び名はなかったけど、

ああ、なんて最高な3 組なんだ。そう思ってた。

 

加えて3組の関係性も絶妙だった。

KAT-TUN少年倶楽部の司会をしていた。何かにつけてNewsもエイトもゲストで出ていた。

SMAPだkinkiだ先輩のカバーをしたり、オリジナル曲を歌ったり。

 

エイトの上三人は少し先輩だったけど、他はほぼ同世代で距離も近く、Newsは正統派ジャニーズとしてキラキラしていて、ちょっとヤンチャな雰囲気のKAT-TUNはとにかく勢いがすごくて、エイトは負けないように関西色を全面に出したり、みんなそれぞれ荒削りだったけど、とにかくエネルギーと若さに溢れていた。

 

当時11歳。まだ初潮も迎えてないような、ランドセルを背負ってるただの子供にとって、 そんなハタチ前後のイケイケのお兄ちゃん達はたまらなくカッコよく見えていてキラキラしてて、いくら手を伸ばしても到底届かない憧れの存在だった。

 

でも、やっぱり当時からみんなヤンチャだった。

現在の末路を見てもわかると思うけど、本っっ当にみんなヤンチャで、ピンピンに尖っててどうしようもなかった。

あの頃から気分が乗らないときは思いっきり不機嫌が顔に出るし、MCで一言も喋らないなんてザラ、やれ○○とXXが不仲でハブりが起きてるとか、熱愛報道なんて日常茶飯事、FRIDAYに連載を持ってるメンバーも数人いたり、ライブより六本木のクラブに行けばいつでも会えるアイドルと揶揄され、ヤラカシに激怒してケータイ逆パカするわ、未成年飲酒で謹慎になるわ、とにかく気をもむことの多いこと。

 

本人達も荒削りでピンピンに尖っていれば、それを反映するかのようにファンも尖りに尖っていた。

何かと言えばすぐに対立していたし、社会全体今ほどコンプライアンスも高くなかったので、とにかく皆驚くほどに口が悪かった。

 

あの時は今ほど全然ネットが浸透していなかった時代。

ネット民はまだ少しアングラな存在だった。

Youtubeも2005年に出来ているし、Youtubeに上がった動画を見て過去に浸るなんて、全然主流じゃなかった。

見たい動画はファイルおくーるとかいうファイル転送サービスで貰ったりしていた。

ファイルおくーる、今もあるのかな。

 

当時はYoutubeの直リンを貼るとサーバーが重くなるので、リンクを貼るのはご法度だった。

リンクを貼るやつが出てきたら「半年ロムれクソ新規」と怒鳴られた。

ジャニーズのことで、例えばあの曲を披露したのはいつの少クラですか、とか聞いても「そんなことも知らないとか本当に新規はクソ、自分で調べろ」と一蹴された。

とにかく最近ファンになった新規には人権がなかった。

でも好きだから、知りたいから、一生懸命調べた。

ネットに転がってる情報はくまなく調べた。

よくわからないメルマガを購読したりもした。

空メールを送ったら歌詞が送られてくるサイトで、歌番組で披露されていない幻の2番の歌詞を調べたりした。

 

ごく出は永遠の新規と罵られ、あれも見てないの〜?プププとマウントを取られ、教えて欲しいことは自分で調べろと言われ、

当時小学生だった私は、あの頃の画面の向こうのお姉さんヲタク達に随分精神を鍛えられたと思う。

解釈違いのヲタクは全部殺す、そんな雰囲気があの頃のYou&Jのヲタク達には確実に流れていた。

 

その勢いが最高速度に達したのはKAT-TUNがデビューする前後だったと思う。

それまでNewsにも関ジャニ∞にもファンクラブはなくて、ハガキ24枚送れば誰でも入れるJr.情報局で管理されていた(今から思えば本当に謎ムーブだった、内亮が掛け持ちしてたからなのかな)。

KAT-TUNがデビューして、そりゃあ東京ドームでライブもやってるしベスト盤出てるし、単独ファンクラブできるんだろうなーくらいに考えてたのに、

「このたびNews、関ジャニ∞KAT-TUNの合同ファンクラブが発足しました。You&Jです。意味はあなたとジャニーズです、よろしく」というお知らせとともにホテルのルームキーみたいな黒い会員証が届いた。

 

これはKAT-TUN目当てに入ってる人がエイトやNewsのコンサートにも申し込めるし、その逆も然り。

ヲタクの巧妙な名義の貸し借りとか、軽い気持ちでライブ行ってみるとか、そういうことができちゃった時代だから、他のグループのことは今より全然身近に感じられた。

まだまだお笑い色が強かったエイトのライブに慣れている人間が、たまに、KAT-TUNのライブに行くと、衣装の布の多さとか、火薬の量に驚いて、かっこい〜!!ってなったりした。

盛り髪ヒールは暗黙の了解で禁止だったけど、そんなマナーもへったくれもなく客席はシリアぐらい治安が悪くて、MCでは思い思いの丈を叫ぶわ、メンバーに吹き矢が飛ばされてるわ、あまりの文化の違いに怯えたりもした(知らない人は『KAT-TUN 吹き矢 ヨウヨウ』で検索してみよう)。

 

その違いが楽しくて、それぞれのグループはあまりにも違いすぎてライバル意識とかそういう感覚もなく(本人達はどうか知らないけどね)、

ただただ青春のど真ん中に居座っている、永遠のお兄ちゃん達だった。

 

あの頃のヲタクって、You&Jより年上の世代ももちろんいっぱいいたけど、

ボリュームゾーンは少し年上のお兄さんに憧れてる、YJと同世代〜一回り下くらいだったから、みんな思春期ど真ん中に直撃してたんだよね。

思春期の微妙な時期に、あんな脆くて儚くて、でもめちゃくちゃかっこいいちょっと年上の兄ちゃん達がいてくれた幸せ。

 

ジャニーズ事務所全体が今より全然適当で、ざっくばらんで、荒っぽくて

「はい明後日急遽握手会やりまーす」みたいなさ。

そのジャニーズ事務所の荒削り感と、ネット社会の発展途上の過渡期と、自分の思春期、タレント達の成長過程がフルコンボで直撃してる我々You&J世代はさ、そりゃあいつまでも引きずるよ。

 

前例のない2ユニット掛け持ち、森内の脱退、エース格の内博貴が謹慎になり先行きが見えなくて、草野もやらかし、KAT-TUNより先に修二と彰がデビューして、鳴り物入りKAT-TUNデビューだと思ったら半年で赤西が留学し、気づいたら脱退して、デキ婚して事務所も辞めてて、お前のためのユニットやったんちゃうんかいという山Pと、錦戸がNEWSを抜けたり、もうなんか書ききれないくらいイベントが起きすぎて、

よそ様のグループのあれやそれやを、わかるよ、その気持ちとまでは言えないかもしれないけど、青春にYou&Jがあるガールズ達はみんなそれぞれ、「好きで追っかけてるのになんでこんな気持ちにならなあかんねん」という思いをぐっと飲み込んでその都度、心にYou&Jと刻みながら乗り越えてきたんだよね。

 

仁k亀c みたいな時代を感じさせる表記、メールの送受信画、ジャニーズWebの謎の着ボイス、ジャニーズショップの黄色い袋、擦り切れるまで見た少年倶楽部の録画、Myojo御用達の上半身裸のグラビア、一生繋がらないんじゃないかと思うくらい繋がらないナビダイヤル、「…ナビダイヤルでおつなぎします。」が聞こえた時の緊張感、今月はエイト会報に載ってるかな?というドキドキ感、幸せの青い封筒が届く日、お小遣いの中で「今月三誌どれ買おう?」とやりくりした日、カウコンで3Gが絡んだ時の興奮、全てがキラキラした私の宝物だ。

 

野球中継が押して録画がうまくできてなくて悲しんだり、露出が増えたと喜んだり、

ほんと些細なことに一喜一憂して、あの頃のわたし、本当に忙しかった。

 

あの時、掲示板でたくさんバトルしたヲタク達、元気ですか。

散々新規と罵ってくれたお姉さん達、まだヲタクしてますか。

お姉さん達のおかげで、徹底的に調べることの大切さを学んでそのスキルを得ました。

今では知りたい情報をすぐに引っ張ってくるので、皆にそのリサーチスキルを驚かれます。

あの時は怖かったけど、今となってはとても感謝しています。

あの頃の私達は、今の私たちが「15年後からきました。赤西田中田口すばる錦戸山下手越草野が事務所辞めました。」ってスレッド立てたら、どんな反応するでしょうかね。

また大喧嘩になっちゃいそうですけど、事実だから仕方ないね。

あの時思い描いていた未来ではなかったかもしれないし、私もとっくにジャニヲタから足を洗ってしまったけれど、今でもたまにあの日々を思い出します。

決してポジティブな感情だけではなかったけれど、思春期にいろんな感情を教えてくれて、

2000年代後半っていうすごい微妙な時期に、青春ど真ん中を、You&Jに捧げることができた私は幸せでした。

 

とっくにあの頃のみんなの年齢を超えてしまったけれど、

当時のメンバーは半分くらいいなくなっちゃったけれど、

あの泥臭くてキラキラした日々は私の一生の宝物です。

あなたとジャニーズ。私とジャニーズ。

You&Jよ 永遠に。